戸隠山の歴史を調べていると、いろんな発見があり、
意外なところに繋がっていることがあります。
以前に紹介した、
江戸の薬屋である守田宝丹が戸隠山に登り、
その時の苦労を、少しでもやわらげるために山小屋を立てた…なんて話を聞くと、
戸隠神社や長野の刈萱堂に守田宝丹の建てた石柱があることを知ったり、
繋がりが面白いです。
今日も、そんな一例に出会い、ちょっと面白い!と感じたので、
皆さんに紹介しましょう。
戸隠に招かれ、龍の天井絵を幕末に描いた画家がいました。
強烈な個性をもった方で、「画鬼」と呼ばれることもあったそうです。
戸隠に来た際の思い出が、彼の回想記に綴られ、
印象に残った場面が挿絵に記されていました。
龍の絵を描く場面があることは、新聞に紹介されたので知っていましたが、
そのほかにも、多くの挿絵がありました。
戸隠山の険しさを誇張したような姿で描いたもの、
荒倉山に登った際に「船岩」「鬼のカマ」などを近景にし、
北アルプスや一夜山を背景に見立てたもの、
奥院の参道で、天狗のようなものに出会ってすっころぶ!というユーモラスなもの、
さらには善光寺地震後に起きた水害の避難民の様子を描いたものもありました。
その中で、一番目をひいたのが、戸隠から善光寺へ下る際の
狼との遭遇を描いたもの…
朝日山(旭山)の急斜面で、目撃したのだそうです。
江戸末期、虫倉山で少女による狼退治事件があり、
松代藩主から感謝状をいただいた実話があるので、遭遇することはあり得るのですが、
本職の画家が描いた絵があるとは、驚きです。
これがその拡大したもの!
いかがでしょうか…
やはり、目つきが悪そうです… ( ´艸`)
戸隠にも明治時代にはオオカミがいて、人を襲うという話が伝わっています。
ですから、犬も怖い顔をしていたのでは…と想像が膨らみました。
まだまだ、探るといろいろなものが出てくるかも… 楽しみです。