昨日6月7日は、
明治時代の教育者、地質学者である保科百助(五無斎)の命日でした。
それなのに、すっかり忘れてしまい、
〇〇コーラのビンに舞い上がってしまいました。
すみません 師匠! orz!
保科五無斎のゆかりの地で、講演する機会をいただくことが増えました。
彼が初代校長となった〇科高校、
彼の終焉の地となった〇赤病院、
そして、図書館建設に関わった〇〇教育会館でも先日…
三大目標を達成しました…
お遍路さんのようなものかしら…
長野市内でいえば、あとは〇豆島小学校でしょうか?
麦わら帽子をかぶって、彼の功績を振り返る話をしています…
「地質学はすべての学問の基礎である!」
「実物を見て、自分の頭でかんがえなさい!」とうとう…
※ 保科の野帳の最後のページに有名な歌があります。
我死なば、佐久の山部へ 送るべし 焼いてなりとも 生マでなりとも
但し 運賃向こう払いにて 苦しからずや
この手帳によれば、保科の誕生日は、6月8日
(しかし、これは旧暦の慶応4年6月8日で、実際は明治元年ではありませぬ)
彼の言葉と覚悟は、今の人たちが見失っているものなのかもしれない…
それなのに、彼の命日を忘れるなんて…
講演後、いろんな方からお声をかけていただきました。
実は、私は戸隠の出身で、ふるさとの話を聞けてよかった、とか、
母親が戸隠の出で、昔、化石をひろったとか
ああ、あの集落の、あのお宅ですか (+_+) なんてびっくりする時もあります
世の中、いろいろなつながりがあって、面白い!
30年以上も戸隠に住んで、調べる活動をしていると、
五無斎先生のご遺族の方にもお会いすることができました。
いろんなご縁が、博物館を支えてくれています。
ありがたいことです。
若かりしころの保科百助ですね!