7年ぶりのチャレンジです!
朝5時に牧場を出発。
戸隠山の稜線へ出て、さらにアップダウンを繰り返し、最後は直登!
(途中の稜線から 奥が高妻山です)
日差しがあまりなく、虫も少なく、コンディションはよかったのですが、
とにかく距離が長くて、ばてます。
さすがに7年前と同じようには歩けず、
高妻山の奥の乙妻山まではたどりつけませんでした。
う~~ん、残念。
途中、丸石の礫層が何か所か現れます。
のちに東京上野の公園を整備し、日本の博物館の父と言われる
田中芳男(よしお)は、明治8年にこの山を調査し、
「河原のような石がある戸隠山一帯は、隆起によってできた山だ」
と唱えます。
科学的視点で山を登った先駆です。
トガクシショウマが発見されたのもこのときです。
その後は植物学者の活躍によって次々に新種が発表されました。
トガクシコゴメグサ
(上部の葉の先が針状にとがっているのが特徴)
ミヤマムラサキ(手前の花)
高妻山の奥の通称「地獄谷」と呼ばれるこの崖は、
植物採集のメッカとして、
多くの研究者がチャレンジしてきました。
(軟弱物のわたしは、双眼鏡でのぞくだけです・・・)
大先輩の博物学者の足跡をたどりながら、
歩いていると、いくらか疲れが癒されます^^;
今回の目的の一つは、高妻山山頂近くの銅鏡を確認すること。
鏡部分だけで直径約60センチ、全体の推定重量約60キロ!
江戸時代まで山岳宗教の地だった戸隠山連峰。
この銅鏡も、信仰心熱い戸隠講の人々によって、
幕末に奉納されたという記録が残っています。
それを確認するため、裏側にまわってみると、
「御裏山」とは高妻山一帯の呼び名です。
150年以上前の、奉納した人々の名前がきれいに残っていました。
最近調べている、幕末の行者のかたのお名前もありました!
昔の人々のいろいろな思いに触れる、発見の多い登山でした。
できればもっとじっくり観察しながら登れればいいのだろうけど、
なにせ体力的に限界です。
今回、下山は16時すぎ。最後はふらふらで何度転んだか。
普段から鍛えておかないと、次 は厳しいかもしれません・・・