戸隠地質化石博物館の日記

博物館周辺での日々のできごとを、地質、植物、動物などの各担当者が書いていく日記です。

梅雨入り

関東甲信地方が梅雨入りと見られる、との発表がありました

 

昨日は雨が降り続き、晩には大雨警報が出ました…

 

雨の多いシーズンとなります。

 

災害などがないことを祈ります…

 

お使いと看板の草刈りのついでに、

水の神様「九頭龍様」が棲むという戸隠山にお祈りを捧げました…

 

 

戸隠の里で、ニセアカシアの白い花が満開となると初夏の感じが…

 

そして、この葉が大きくなり、白い斑入りとなるころ、

 

梅雨入りだなぁ… と感じます。

 

 

そう、マタタビです。

 

これから、葉がどんどん白くなり、梅雨の時期を代表する景観になっていきます。

 

こんな見慣れぬ植物が咲いています。

 

 

🐕「ナンじゃこりゃあ… 見たことないぞ…」

 

 

ちょっと気になって調べてみたら、

米原産の外来種「イタチハギ」とのこと…

 

🐕「えっーこれも外来種か…しかも、凶暴な奴らしいぞ…」

 

 

🐕「我々のような日本犬の血統を受け継ぐものにとっては、外来種は敵じゃ…

  しかし、こんな身近な場所までもう入ってきてるなんて、

  イヤになっちゃうぞ…」

 

柴犬館長も、ショックを受けているようです…

 

🐕「がっかりじゃ…」

 

 

では、こうした外来種がまだ来ていなかった時代の資料を当たってみましょう…

 

まず、明治38年(1905)発行の「信濃大地誌」より「戸隠山」の項目

漢文調の記載が面白い…

 

 

戸隠奥社の写真も添えられています…

 

 

明治の記録をたどってみると、

明治2年(1869)、明治維新の混乱の中で奥院は雪崩で崩壊

明治8年(1875)、社殿が再建されたとの記事があります。

画像は、この時の社殿のようです。

明治23年(1890)、戸隠神社国幣小社に昇格…

 

この社殿は、昭和37年(1962)に再び雪崩で崩壊…

2年後には再建されました。

 

昭和53年(1978)にも雪崩で崩壊しています…

そして翌年、現在の岩盤の中にRC造の社殿が再建されました…

 

いろいろ探していると、

野尻湖(芙蓉湖)の挿絵もありました… 琵琶島へ橋が架かっているものでした。

 

 

こちらは、明治20年(1887)の教科書「小学信濃地誌略」です。

話しには聞いていましたが、こんなスケッチがあったなんて…

 

🐕「これは、ちょっと面白いじゃない…」

 

同じ教科書にでてきた、信濃の名産品の図…

 

 

図を読み解くと、お蚕様(蠶卵紙)と繭、

織物(上田紬、絹、紬、縮緬、山繭織、綿布、麻布など)、

竹細工(美篶細工で、戸隠の竹細工ではありませんでした、残念…)

 そのほか、元結、足袋、和紙などがあります

 

その横に、月の輪熊、キジかヤマドリらしき鳥の絵が…

 

これには、柴犬館長も憤慨を通り越して、脱力です…

 

🐕「なぜ???クマなのじゃ… こうなると理解不能じゃ… (゚д゚)!」

 

明治の教科書、クマが衝撃的な扱いをされている例が見受けられます。

 

以前紹介した昭和30年台の戸隠スキー場の「クマパンフ」のDNAは

明治時代の教科書から受け継いだものなのかもしれません…

 

今日もおあとがよろしいようで…