資料整理に励んでいると、意外なところから物語がつながります。
保科五無斎先生の標本の中から、発見!
標本箱の中に、古新聞が詰め込まれていました。
標本がガタガタしないように、隙間に押し込まれた
たかが古新聞ですが、そこはMさん。
それを開いて、字を読もうとするのだから、すごいです。
それを湿らせ、開き、読んで見ると、すごい!
我々が知っている人物が登場!
一人は、明治時代後半に戸隠山を探検した江見水陰
新聞の広告欄に「少年世界」が載っているではありませんか…
いや〜 なにかのご縁ですね…
そして、もう一人は、柵小学校の7代目の校長
森山校長です。
古新聞と思った切れ端は、五無斎自らが編集・発行した
雑誌「信濃公論」のものと判明…
五無斎自身がちぎって詰め込んだものかもしれません。
指紋が取れるんじゃないか、という妄想も膨らみます。
明治42年に五無斎が売り出した長野県地学標本(第2次)の
購入者名簿にありました。
柵小学校にも、かつて、長野県地学標本があったのです。
うーん 残念! ヽ(;▽;)ノ
校舎の建て替えの時にでも捨てたのでしょう。
校長室の歴代校長の中に、彼の写真もありました。
微妙に字が違いますが、そこはご愛嬌ということで…
個人名ですので、自腹で購入したのでしょう。
子どもたちの教育のために…
なにかのご縁があって、今回の発見になりました