戸隠地質化石博物館の日記

博物館周辺での日々のできごとを、地質、植物、動物などの各担当者が書いていく日記です。

つながる

先日、ローカル新聞の書道についての連載コーナーに、
特徴的な文字を見つけました。


善光寺界隈の建物の看板やお寺の玉垣にあるそうです。
書いたのは、東京の薬屋の主人、守田宝丹(ほうたん、1841〜1912)で、
明治26〜27年のことだそうです。



実はこの右肩下がりの変わった文字を、
現在、博物館の企画展の中にも見ることができます。


明治39年戸隠神社で売り出した薬の袋です。



左側の表書きには「戸隠山 小児一切 御霊薬」の文字。
たたまれたときに内側になる、右側にはその由来と処方の仕方が書いてありました。


右下のくせのある自体がこの、宝丹のものです。


この人物は、江戸末期からベストセラーとなる薬「宝丹」を販売して
莫大な財産を築くのですが、公共事業に寄付したり、
特徴的な書を書くことや古銭収集家としても有名です。
また、新聞広告を出した元祖とも言われていて、
さまざま業界で知られた人です。


展示にあたって、この薬の袋の文字を、
古文書がよめるかたにお願いして解読してもらいました。
すると、戸隠に古くから伝わる霊薬(歯痛、腹痛、眼病にも効く万能薬!)が
煎じ薬だったのですが、それを宝丹が丸薬に加工して、携帯や販売に便利にした。
さらに、東京のお店で取りついで、全国各地に販売した、とありました!



当時としては画期的なできごとだったはずですが、
漢方薬で、何を材料にした薬なのでしょうか^^;?



戸隠と宝丹との関係は、他にもあるので、
また別の機会にご紹介したいと思います。



にわかに、ちょっとした宝丹ブームが起きています。


ちなみに、宝丹という薬は現在も上野で売られていますよ^^