戸隠地質化石博物館の日記

博物館周辺での日々のできごとを、地質、植物、動物などの各担当者が書いていく日記です。

原点… その3

上野公園は、パンダの赤ちゃんで大賑わいだそうですが、

このお話は3回目(最終話)になります。



先日、国立科学博物館に行った際、「上野大仏」に向かいました。

昔、上野の山に大仏があったそうです。

古い雑誌の中に、関東大震災で破壊された大仏の写真を見かけました。




現在は、大仏跡地に仏塔がたっていますが、

そのわきに大仏のお顔を保存したお堂が建てられています。

ちょっと不気味な感じが漂います…



やはり、以前は寛永寺を中心とした街だったのですね。



その中心となる上野東照宮にも参拝しました。

子どものころは、ここには来なかったなぁ〜としみじみ思いました。

ずらりと並ぶ、灯篭類…


金ぴかの東照宮

この派手さは、太閤秀吉に対抗するためでしょうか❔



上野の寛永寺は、戸隠山顕光寺を支配する天台宗のお寺です。

徳川家康東照宮として祀り、江戸の鬼門の方角にあることから、

江戸を守護する「東叡山」と呼ばれました。

戸隠山顕光寺のトップである「別当」は寛永寺に任命されたのです。

そうした意味では、ここは戸隠の原点でもありました。



明治維新で、徳川方の彰義隊が立てこもったのも、徳川家ゆかりの寺だったという理由…

その支配下の寺は、徹底的に神仏分離や廃仏希釈がされたのでしょう。




そして、この上野戦争の総大将が「西郷隆盛

上野公園の入り口に彼の銅像も建てられています…



関東大震災の時、避難場所となった上野の山、

生き別れになった人々の、無事を確認するための場所でもあったようです。


上野には、明治政府が「博物館」を建てました。

飯田出身の文部官僚「田中芳男」がその中心になりました。

田中がその博物館設立のために行った学術探検!

そのフィールドの一つに選ばれたのが「戸隠山」「飯縄山

そして、その際に発見されたのがトガクシソウ(トガクシショウマ)



そうした縁で、戸隠は「日本の博物学 発祥の地の一つ」になりました。

(…と我々は考えています)


ブラブラしながら、いろんな物語の原点を「上野」で探しました。


西郷さん、ありがとうございました。



来年の大●ドラマ、楽しみにしていますね!(*^▽^*)