戸隠地質化石博物館の日記

博物館周辺での日々のできごとを、地質、植物、動物などの各担当者が書いていく日記です。

今朝は雨だった!

昨日の朝の寒さとは一転、今朝は雨になりました。

 

うーん 今年は本当にどうなっているのかな?

 

雨滴のつくるさざ波を撮影してみました。

 

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1月23日ですよ、八甲田山の日だとか…

 

長野県諏訪出身の新田次郎氏の作品として有名になった、

1902年の大量遭難事故の登山開始日だそうです。

 

それに比べ、今年は雨ですよ、雨…

 

先日、戸隠神社中社に行ったついでに、広庭を撮影してきました。

多い時は2mも雪があることもあるのに…

 

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昨日今日の暖かさで、これより少なくなっています。

 

雪が少ない分、有名な石造文化財をみることができました。

 

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江戸時代中期の戸隠の別当(戸隠両界山顕光寺のトップ)

「乗因」が設置したもの。

 

「山中支配領内守護不入」とあり、守護大名の権力に戸隠山は屈しない!

との意気込みをあらわしたもの、と考えられているそうです。

 

この「乗因」は、就任後に、いろいろな改革を行った別当で、

尾上(おかみ)に別荘を建てたことでも知られます。

 

「乗因」が中社から出て、麓に別荘を建てたので、

この地区が「おかみ」と呼ばれるようになったともいわれています。

 

後に訴えられ、当時の寺社奉行大岡越前守忠相」に遠島を申し付けられた人物で、

罪人として、歴代別当の名簿から消された、と言われています。

 

なかなか興味深い… タイムマシンがあれば、あってみたい人物の一人です。

 

当時何があったのでしょうか??????

 

考えてみると、なぜこの碑をたてたのか?

なぜ麓に別荘をたてたのか、不思議です。

 

雪がない戸隠は、いろんなものが見えてきて、不思議の輪が広がります。

雨のしずくのようです…

 

おあとがよろしいようで…