戸隠地質化石博物館の日記

博物館周辺での日々のできごとを、地質、植物、動物などの各担当者が書いていく日記です。

写真雑誌から

気持ちのいい秋晴れの中、小学校の地層見学が行われました。

f:id:Naturalhistory:20191031102944j:plain

児童さんの中には今回の台風で、

自宅が浸水被害を受けたこもいるとのことでした。

川の流れの3つのはたらき、「侵食」「運搬」「堆積」を

災害として実体験してしまったのです。

子どもたちのようすをいつも以上に気にかけながらの

見学会となりました。

 

さて、災害つながりの話になりますが、

昨日は戸隠の旧家の蔵から出てきた

古い文書類を整理していました。

目にとまったのは、大正時代の月刊の写真雑誌です。

新聞一面の半分ぐらいのサイズの大きな紙面に、

当時の街並みや風景などが、いきいきと掲載されています。

 

しかし、大正12年の9月号からはようすが一変します。

関東大震災が起きたのです。

f:id:Naturalhistory:20191030112505j:plain

10月号では、皇居のまわりに、避難所でしょう

多くのテントが張られている写真が掲載されていました。

(フィルムの代わりに使われていたガラス乾板を

着色してカラー写真にしています)

 

そうした被災のようすが紙面の大半を占める中、

こんな記事もありました。

f:id:Naturalhistory:20191030112233j:plain

「遥々(はるばる)救済に来た米国兵站病院」

 

アメリ赤十字社が救援物資をもって来日し、

病院をひらいたという内容でした。

さらに、文中には、

「今回の我国大震火災に際して諸外国が能ふ限りの

大なる物資を惜しまなかったことは我等の深く肝に

銘じて感謝するところで、・・・我々の特に忘る

べからざるは北米合衆国民の示してくれた好意で

あった」

とあります。

 

この後、太平洋戦争に向かっていくことを思えば、

せつなくもありますが、

当時、確かに国境を越えた救援があり、

傷ついた被災地の復興に、大きな力になったはずです。

 

また、こんな折り込みページもありました。

f:id:Naturalhistory:20191030112855j:plain

安政の江戸地震(1855)の際の被害状況をまとめた絵図を

復刻したもののようです。

江戸の災害に、今回の災害を重ね、

過去から学ぼうという姿勢がうかがわれます。

 

支援の力と過去からの教訓

 

現在は、関東大震災からすでに100年近くたちますが、

やはり学ぶことは大きく、

そして、人が求めることが基本的に変わっていないことにも

深い意味を感じずにはいられませんでした。

 

災害が身近におき、現在もその影響が続いています。

長野の大地について語る博物館職員として、

まだまだ整理がつかない、

どう自分にとりこんでいいのかがわからない、

そんな令和元年の10月が、ようやく終わります。