気持ちのいい秋晴れの中、小学校の地層見学が行われました。
児童さんの中には今回の台風で、
自宅が浸水被害を受けたこもいるとのことでした。
川の流れの3つのはたらき、「侵食」「運搬」「堆積」を
災害として実体験してしまったのです。
子どもたちのようすをいつも以上に気にかけながらの
見学会となりました。
さて、災害つながりの話になりますが、
昨日は戸隠の旧家の蔵から出てきた
古い文書類を整理していました。
目にとまったのは、大正時代の月刊の写真雑誌です。
新聞一面の半分ぐらいのサイズの大きな紙面に、
当時の街並みや風景などが、いきいきと掲載されています。
しかし、大正12年の9月号からはようすが一変します。
関東大震災が起きたのです。
10月号では、皇居のまわりに、避難所でしょう
多くのテントが張られている写真が掲載されていました。
(フィルムの代わりに使われていたガラス乾板を
着色してカラー写真にしています)
そうした被災のようすが紙面の大半を占める中、
こんな記事もありました。
「遥々(はるばる)救済に来た米国兵站病院」
病院をひらいたという内容でした。
さらに、文中には、
「今回の我国大震火災に際して諸外国が能ふ限りの
大なる物資を惜しまなかったことは我等の深く肝に
銘じて感謝するところで、・・・我々の特に忘る
べからざるは北米合衆国民の示してくれた好意で
あった」
とあります。
この後、太平洋戦争に向かっていくことを思えば、
せつなくもありますが、
当時、確かに国境を越えた救援があり、
傷ついた被災地の復興に、大きな力になったはずです。
また、こんな折り込みページもありました。
復刻したもののようです。
江戸の災害に、今回の災害を重ね、
過去から学ぼうという姿勢がうかがわれます。
支援の力と過去からの教訓
現在は、関東大震災からすでに100年近くたちますが、
やはり学ぶことは大きく、
そして、人が求めることが基本的に変わっていないことにも
深い意味を感じずにはいられませんでした。
災害が身近におき、現在もその影響が続いています。
長野の大地について語る博物館職員として、
まだまだ整理がつかない、
どう自分にとりこんでいいのかがわからない、
そんな令和元年の10月が、ようやく終わります。