昨日、九州南部では、梅雨前線により大雨となりました。
球磨川一帯では、河川の氾濫や土砂災害が広範囲で発生し、
多くの被災者がでています。
被災された方々にお見舞い申し上げます。
今日の午後から、また梅雨前線による雨が降り出した模様です。
救助が順調に進むように、被害が拡大しないように、祈るばかりです。
戸隠周辺も、今年は雨が多い梅雨となっています。
今年の梅雨(6月11日から今日まで)累計285㎜の雨が観測されています。
昨日も大雨が断続的に降り、注意喚起のメールが時々来ました。
そこで、朝、心配なので裾花川の様子を観察に…
濁った水が大量に流れてはいますが、そう心配することはなさそうです。
しかし、1995年7月11-12日に起こった集中豪雨を忘れることができません。
戸隠では180㎜、鬼無里では220㎜、その西側の小谷村では390㎜の降水量があり、
各所で土砂災害や河川の氾濫が相次ぎ、大変でした。
その時は、これより4mぐらい水位が上がって、
川幅も倍ぐらいになった記憶があります
この博物館周辺も道路が寸断され、孤立化しました…
大量の水は怖い… 弱いところがやられる、と実感させられました。
昨年の長野市の水害でもそうですが、
同じ災害でも、なにかしら弱い部分が必ず被害を受けます。
そうした「弱い部分」は、じっくりと観察して推理すればわかります。
そのために「地質学」はあるのだ、と思います。
先日も、市街地にある、建設現場を見てきました。
こんな巨礫が現場の地下から出てきたそうです。
この丸みからいって、川が運んだ巨礫ですが、
こんな大きさのものをかつて運んだ水の流れがあったのでしょう。
大規模な洪水が長野市街地に発生したとしか、考えられません…
ぜひ、博物館で【モノ】を見抜く目を養ってほしい、と考えています。
いきなりは無理ですが、地形、地名、過去の災害史など、
考えるヒントはたくさんあります。
そうしたことに加えて、
最近、雨による河川災害が多く、
「川は怖い」というイメージが定着してしまいましたが、
川は命をつなぐ水の通り道でもあります。
田畑を潤し、食糧を生産する立役者 「肥沃の地」を作ったのは川…
それに加えて、かつてはモノや文化を運ぶ「道」でもありました!
「信濃なる 千曲の川の さざれ石も 君し踏みてば 玉と拾わん」 万葉集東歌
など、かつては俳句や歌に詠まれるものでもありました。
昔は「小鮒釣りし、かの川~♩」とか、「春のうららの…♫」とか、
「川の流れのよう~に♬」とか、川を題材にした歌があったのに…
令和の時代には、そんなことがなくなっちゃいました…
(これは年寄りの妄想かもしれません、
最近の曲をしらないだけなのかもしれません)
未来では、山や川など、自然と共存してほしい…
そのためには川や山のことを、もっと詳しく知ったり、親しむ必要がありそうです。
今日のブログは、長くなってすみません。
ちょうど一昨日、地元新聞の記者さんが取材に来て、
千曲川についてお話をさせていただいたこともあり、
球磨川の災害から発展して、いろいろと考えてしまいました。