今日の戸隠は快晴!!!
戸隠山がくっきりと見えました…
この山の麓、コメのとれない場所で、人々が暮らしてきました。
いろんな物語が展開されてきました…
蕎麦もそう、竹細工もそう、
みんな、戸隠の自然の恵みを生かしてきました…
江戸時代、ここは戸隠顕光寺というお寺の領地、
寺社としては最高級の千石の領地を安堵されました。
その最高権力者の屋敷あと…
立派な石垣が中社に残ります…
千石のうち五百石をもらい、戸隠山の別当として君臨したおうち…
この家のかつての主人は、こんな石碑も作りました
「守護不入の碑」
彼は、その後、豊岡の里に屋敷をつくり、そこから高妻山を拝みました…
それが、尾上(おかみ)の地名となった、との説が伝わります…
その屋敷跡には、彼のモットーが刻まれた石が残ります。
慈悲(いつくしみの心)、倹約(ものをたいせつに)、自後(自分は一歩ひいて…)
とても、守護不入の主張をした人のモットーとは思えない…
「慈倹後の石」と呼ばれます…
「一實道士」は彼の号、別当としては第55代「乗因」と呼ばれます。
彼は、江戸時代中期の別当で、当時の寺社奉行 大岡越前守忠相に裁かれ、
遠島を言い渡されるのです。
その後、彼の名は、戸隠の公式記録の歴史の中では消されます…
そんな里の畑の中に、消された別当の碑が残ります…
なかなか、感慨深いものがあります、、、
その南にある「大中」という集落には、日本有数のカツラの巨木が鎮座します。
鎌倉時代初期、
親鸞聖人が荒倉山に登った時の杖が根付き、この樹になったとの伝説があります。
立派なカツラの巨木です。(長野県天然記念物)
葉っぱは良い香りがするので、「お香の木」とも呼ばれます。
里の中には、戸隠神社を支えた、生産の場としていろいろな物語があります。
それは、飯縄山の麓に湧く湧水がもたらした物語でもあります。
「地質を知る者は、水を制す…」
皆さんも、里の地質を学んでみましょう!
意外と複雑で、おもしろいんだな、これが…
また、ブログでも紹介していきたいと、考えています… 「続く」