戸隠地質化石博物館の日記

博物館周辺での日々のできごとを、地質、植物、動物などの各担当者が書いていく日記です。

地質屋として山城をみる

立冬を迎えましたが、今日は小春日和…

 

暖かくなりました…

 

そんな中での自然観察会

テーマは「山城を歩く」

 

実は、この博物館の周辺には、戦国時代の城跡がいくつもあります。

 

そのことが、柵の語源だという人もいるくらい…

 

今日は奈良尾地区の東側にある「古城(ふるじょう)」を探検!

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石垣はありませんが、

堀や土塁がよく残っており、なかなか、保存のよい城です。

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敵を防ぐために、いろいろな工夫があります。

 

細い土橋状の部分があり、

重たい鎧をきた武者を突き落としたのかも?

なんて想像をしながら歩きました。

 

その後、お天気がよいので、

栗田氏のいた城之内城や根小屋城をめぐり、

戸隠の歴史との関係を考えます。

 

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よーく見ると、以前このブログで話題にした「チコちゃんの木」も見えます。

 

午後は、円光寺居館跡や福平城を見学。

 

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円光寺の北側の堀と土塁、よく残っています。

 

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この地区最大の福平城は、ぐるりと堀がめぐらされており、

貴重な史跡です。

 

それぞれの城が、とても見晴らしのよい高台に位置します。

地球の重力を、防御の助力として利用しています。

また、見晴らしのよさは、敵への威嚇にもなったことでしょう。

 

川中島合戦のころ、戸隠も取り合いになり、

そのころに各地に山城が整備されたのでしょう。

 

戸隠地区が隆起を続けているため、

沢が深くなったり、地滑りが起きたり、断層が動いたり…

 

そうした場所が、展望の良い場所をつくり、

城址として利用されたものだ、と地質屋は考えています。

 

戦国時代の人々は、守るべきものがあり、

土地の特徴を生かし城を築いたのでしょう。

 

 

自分たちの土地は、自分たちで守る…

その覚悟を、城址に見ました。

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最後に、盛りとなった紅葉が、我々を癒してくれました。