戸隠地質化石博物館の日記

博物館周辺での日々のできごとを、地質、植物、動物などの各担当者が書いていく日記です。

牧野富太郎博士に学ぶ

今朝は、車のフロントガラスの観察から…

 

昨日の雪に混じっていた黄砂でしょうか?それとも花粉でしょうか?

 

 

この土曜日から始まる企画展

牧野富太郎博士と戸隠の植物」を準備中です。

 

その中で、彼の人となりを調べ、思い浮かべよう、

ということで、牧野富太郎選集を読んでいます。

 

牧野富太郎博士は、文久2年(1862)、土佐国佐川に生まれ。

明治8年に小学校を中退…その後、小学校の授業生(代用教員)となるなどし、

独力で植物学を勉強しました。

明治14年に上京「内国勧業博覧会」を見学。

文部省の博物局の田中芳男としりあい、

東京大学植物学教室に出入りします。

石版印刷技術も学び、スケッチ能力を生かして、研究に没頭します。

植物学教室の助手、講師になったりしますが、その才能を教授に嫉妬され、

出入り禁止になることも…。ロシアへ亡命することも考えたようです。

しかし、恵まれない中で植物の研究をすすめ、論文や多くの図鑑類をまとめます。

昭和32年(1957)に亡くなりますが、

生涯に発見した新種500種、新命名の植物2500種に及ぶとされ(選集の中では)

植物分類学の権威で、文化勲章も授与されました。


若かりし頃の牧野富太郎氏?をイメージ図

 

恥ずかしながら、手描きです…

 

🐶「へたくそ、先生に叱られるぞ…」

 

借金取りに追いかけられたり、家賃の滞納でおい出されたりしながら、

妻の支えや協力者の援護の中で研究を続けます。

その波乱万丈の人生が、

この4月からはじまる連続ドラマで取り上げられるとのこと。

 

牧野富太郎博士が残した随筆には、故郷の化石や火山(特に富士山)、

関東大震災にも記述がおよび、自然の中で学んできたこと、

独自のユーモアセンスを持った人だと実感できました。

 

戸隠にも4度訪れ、ヒメアジサイというアジサイの品種を発見しています。

このかわいらしいアジサイを牧野博士はとても気に入り、自宅の庭にも植え、

生涯大事にしたという逸話から始まった今回の企画展、

18日(土)から始まりますので、ぜひお楽しみに…

 

 

今日、お見えになったお客さまは、熱心な方がおおく、

長時間滞在されていきました。

 

「こんなにあって、見切れない」

「また来ます…」

「200円でよいのですか?」という声が…

 

 

 

「これは、おもしろい…」

「私には人体模型にしか見えない…」

 

そういわれると、そう見えてしまいます…

上の〇が顔… シリンダー類が内臓とのこと…

4サイクルエンジンの模型なのですが…

 

その見立ての力に、脱帽です。



🐶「牧野博士も、

    先入観なしで植物の声が聞こえてたんじゃないか?」

 

🐶「お客様から学ぶことは多いのじゃ…」

そんなことも思いました

 

今日もおあとがよろしいようで…