戸隠地質化石博物館の日記

博物館周辺での日々のできごとを、地質、植物、動物などの各担当者が書いていく日記です。

イヌも探せば、何かにあたる!

何かを心にとどめておいて、周りをよく見ると、

時々、思わぬところでヒットする!ということがあります。

 

「うわっ~ こんなのあったんだ!  おもしろい!」

昨日は、そんな体験がありました。

 

市内にあった謎のトンネルの資料をさがして、公文書館へ…

 

そこには、いろんな資料が収蔵されており、

探すと面白い…

宝の山です。

 

そんな中、初めてみた資料がありました…

 

大正時代末に発行された「長野市史」

当時の市長は、丸山弁三郎氏(なんと、保科五無斎の親友でもあります…)

 

この本、市の職員としては、恥ずかしいながら初めて知りました。

 

おもしろい!

 

掲載の地図がショッキングでした…

 

 

 

長野市浅川には、油田が存在し、その井戸の跡が残っています。

 

明治・大正・昭和と、長野の名産品の一つが石油です。

 

明治の教科書には記載があります。

 

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フォッサマグナ地域の海成層からは石油が産出!

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やはり、地理の教科書の中に登場します。

 

 

静岡県相良油田、新潟・秋田の油田が有名ですが、

日本最初の石油会社は、この長野市にできました。

明治4年に設立された「日本石炭油会社」です。

 

 

 

 

その存在を示す、地図がこの「長野市史」の中にありました。

 

明治12年の地図がカラー刷りで掲載されています。

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気が付かなかったなぁ、こんなところに地図があるなんて、

しかもかなり広い敷地をもった会社だったんだ!

西光寺の南、石堂町の通りこの場所と言えば、今では中心繁華街でございます。

 

当時はまだ長野駅もなく、地価も安かったのでしょう。

 

ちなみに、善光寺周辺はこんな感じでございます。

 

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善光寺境内に常盤井座や弁天池があります。

 

道も、今とは全然違います。

善光寺と城山の間には、田畑が広がっています。

県立美術館も、城山公民館もありません。

 

いろいろと街は変わっていくようです。

 

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「よしよし、良く見つけたぞ、秘書… 今後も精進じゃ…」

 

久しぶりにおほめの言葉をいただきました、

ありがとうございます!!!!!